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写真展「戦争と花」で涙


「戦争と花」展に友人が誘ってくれました。色々な思いが込み上げてきました。戦争の写真ですが、そこに一輪の花が入り込むことで、私は何倍ものメッセージを受け取ることができたような気がします。写真上は、ベトナム戦争反対運動の写真。せめてブログに書くことで、誰かが何かを感じてくれたならと思い、アップします。

The Massギャラリーで8月15日まで開催されている本展の主催は、フラワーアーティストの東信氏が率いるAMKK。戦争という極限状態で花が人間に対してどのような意味を担ってきたのかという問いが動悸にあると書かれていました。私にとっても、花は暮らしの中で、心に大きな作用をもたらす大切なもの。その身近な花を通して戦争にまつわる写真87点に触れてみました。

私は、上の写真が忘れられません。銃口に花をさしている若者。最初の1枚も、女性がひるむことなく兵士を見つめる、その狭間に花が。言葉はなくても、そこには、反戦はもとより、優しさや、祈りや、儚さや、生命、勇気・・・たくさんのことを花が語っているように思います。涙が滲んできます。

子供の頃、戦時中、上野動物園の象が、餌がなくなり、衰弱していく中で、餌が欲しくて必死に芸をするという絵本を読んで号泣した思い出がよぎり、また涙。ギャラリーでは、さすがに抑制が効いたのですが、一人ブログを書いていると、はばかることなく涙が出ます。人だけでなく、言葉も写真も持たない、そしてなんの罪もない動物や昆虫たちがどれほど犠牲になったことでしょう。

夜には祖父のことを思い出しました。小さい頃、「これも、これも弾が貫通した跡」と脚の傷跡を見せてくれました。その時は、痛かった?としか言えなかったけど、今は血まみれになった脚を引きずり必死に逃げる姿が浮かびます。追い詰められる恐怖や、死に直面する恐怖を思います。

花という言葉について聞いたことがあります。舞台端(ぶたいばな)とは舞台と観客の境界のこと。はな・・・とは端っこ、という意味を持っている。で、花はあの世とこの世の境目(端・はな)にあるものだからという説があるそうです。祝う時も、慰める時も、死者を弔う時も世界共通に古から花は人の傍にありました。人は花に何かを託しているのですね。

私は社会情勢にも歴史にも詳しくありません、平和ボケしている一人です。だから何も解説はできません。以下の写真から何かを感じてもらえたら幸いです。そして亡くなられた方の冥福を祈り、平和を祈ります。

最後に本展共同キュレーター小金沢智氏の寄稿の一部を掲載させていただきます。

「戦争という生死の極点における花と人間をめぐるイメージを展観することは、鑑賞者に対して生と死を同時に突きつけ、その感情を大きく揺りうごかすことになるに違いない。苦しさを感じさせることもあるだろう。たとえ割り切れずとも、それにより生まれた思いを丁寧に見つめることで、戦争の終わらない現在を生きていくためのひとつの視座を獲得する機械にしてほしい。」

キャットストリート近くのMassギャラリーは2階も合わせ3つに別れている。建物も素敵です。

http://themass.jp/1/2018/

https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18032

☆今回はインテリアとは少し離れましたが、私にとって「豊かな暮らしはなんだろう」という暮らしの根底や幸せについて考える良い機会でした。花や自然、物を大切に、感謝することを考えました。

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ツジ チハル

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